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きっと、あの日の僕は今の星野源を好きにはならなかった

2019年10月14日 「Same Thing」の配信リリースと共に、「おげんさんといっしょ」が放送されたこの日。
星野源ファンにとって、これほど至福な一日はなかったのではないだろうか。
海外ツアーを控えた彼にとっても、この日は特別な一日であったと思う。

おげんさんといっしょ。放送直後。10月15日0時00分00秒
強烈な音楽の余韻に浸る中で、しかし私はこう思っていた。

きっと、あの日の”僕”は今の星野源を好きにはならなかっただろう、と。

星野源の音楽との出会い

私の星野源との出会いは、ほんの少しだけ突拍子のないものだった。

それは、私が高校三年生の三月のことである。
私はその頃、受験も終わって、ただただ家で空虚な日々を過ごしていた。
第一志望の大学に落ちて滑り止めの私立に行くことになった私は、何かに負けてしまった、そんな喪失感を抱いていたのだ。
滑り止めの大学は入る学部も学科も適当に選んだところで、
私にあったのは希望でも目的でも目標でもなく、大きく鬱陶しい不安だけだった。

家でボーッとしながら、私は(わざわざ録画していた)「おじゃる丸スペシャル」を観ようと思った。
できれば「高校生にもなって」と笑わないで欲しい。
私は、あの独特な不思議な世界観が好きだったし、スペシャルだったら絶対面白いだろうとまで思っていたのだ。

その話は「銀河鉄道の夜」を題材にしたお話だった。

平日の真昼間から、幼児向けアニメを観ていた高校三年生は(実に滑稽なものだが)、エンディングになって唖然とした。
いや、あの日の衝撃は今でもうまく言葉にできない。驚いたし体中に電流が走ったし鳥肌が立った。そしてなぜだか少しだけ、涙が出ていた。

そのエンディングを歌っていたのが「星野源」だったのである。

文筆家で役者でアーティスト

ほんの少ししか流れなかった劇中の曲を、私は何度も何度も巻き戻して再生した。
何が私をそこまで掻き立てたのかは分からない。けれど、こんなにも惹き付けられる音楽との出会いは、私の人生にはかつてないものだった。

スマホを持ち始めたばかりで、まだまだインターネットに慣れていなかった私だったが、
衝撃のままに「誰だこの男の人は!?」と検索をする。

星野源」という名前とともに、自分が微かに涙した曲は「ある車掌」という名前であることを知った。
「ある車掌」がリリースされていなかったことに落胆しながら、私はYoutubeに挙がっていた星野源の曲を、「他にどんな歌を歌っているんだろう」と何の気なしに再生する。

びっくりした。全部好きだった。こんな都合のいいことがあるのかと思った。

その頃、Youtubeに挙がっていたのは「くせのうた」「日常」「くだらないの中に」「フィルム」だったと思う。「くせのうた」以外は通して聞くことはできなかった(この頃は源さんがこだわってわざとやっていることも知らなかった)

調べると、文筆家で役者で、「うんちを漏らしたことがある」というパワーワードまで出てきて、私は何だか星野源ワールドにすっかり魅了されてしまっていた。当時発売されていたアルバム「ばかのうた」「エピソード」を買って、しばらくすると我慢できなくなってシングルの「フィルム」も買っていた。

死にたくなるような曲を歌う人

今となっては、「そう言われていた」というソースを探すことの方が難しいが、(私の記憶を頼りに言うなら)、源さんはその頃「死にたくなるような(暗い)曲を歌う人」「”生活”を歌う人(キッチン・茶碗・老夫婦などがそう言われる所以であろう)」と呼称されていた。
確かにその頃は暗めの歌の方が多かった。歌い方にしても「スーダラ節」で観客を泣かせるほどである。しかし、ポップじゃないそれもよかったし、その頃の私にとってはそれがよかった。

そして源さんの曲は、私にとってただただ暗いだけでもなかったのである。

例えば、「ばらばら」と言う曲がある。
アルバム「ばかのうた」の1曲目であり、歌詞カードには「どん底の状態でポロっと出てきた曲」とまで書かれている曲だ。
暗いか明るいかで言えば、もちろん暗い。
けれど、源さんは歌詞の中で「世界は一つじゃなくていい、ばらばらのままでいいんだ」と、そう諭してくれる。
みんな結局ばらばらで、でも一つになる必要はない、ばらばらでいい。
分かっていたようで、分かっていなかった。そんな気付きがあって、その頃の私にはガツンとくるものがあった。

Mステ→いいとも→新曲発売

大学で一人暮らしを始めると、通学時間にイヤホンで源さんの歌を聴くのが日課になっていた。
友達とカラオケに行ったときも、空気なんて読まずに(みんな知らない曲が多かった)源さんの曲を歌いまくった。

そんな折、源さんが「夢の外へ」という楽曲でミュージックステーションに初登場することになる。
そのときの私の喜びようったらなかった。夢の外ではなく、夢の中のような心持ちで、高校時代の部活のLINEに「絶対いいから観て!」とメッセージまで送ったほどだ。

タモさんと相性良さそうだなぁーなんて思っていると、ほどなくして「いいとも」のテレフォンショッキングにゲストとして登場。お尻が急に痛くなる「モニカ病」という奇病の話は、声をたてて笑った。

そして、源さんは私をラジオの世界まで誘った。この頃、源さんがパーソナリティーを努めていたのは「RADIPEDIA」だった。全部聞けたわけではないし、正直細かい内容までは覚えていない。割りと下ネタをいうんだなぁーとか、ラジオのメンバーと仲がいいんだなぁーとかそんなかんじだった。

ただ、その頃の新曲「知らない」のラジオ初オンエアに立ち会ったことは、強烈に覚えている。(あまり好きになれなかったら、どうしようとか、そんな心配は皆目無用だった。)リアルタイムで、源さんに「イヤホンで音量を上げて!」と言われるままに聴いた「知らない」は、私をまた源さんの虜にした。

くも膜下出血

私が大学1年生だった頃の源さんは、世の中に広く露出し始めた怒涛の1年間を過ごしていたように思う。

その1年間の最後にニュースに上がったのが、源さんのくも膜下出血の報だった。

動揺して、たかだか一ファンでしかないが、心配だった。
病名が病名だけに、病気前と同じ健康体には戻れないのかもしれないと唇を噛んだ。
一度復帰したかと思って、もう一度活動休止になったときは、「全快してくれ、無理しないでくれ」と、信じて願うことしかできなかった。

そんな真っ只中に発売されたのが、シングル「地獄でなぜ悪い」である。

奈落の底から化けた僕をせり上げてく ~化物より~

このシングルの特典DVDを、(他の特典DVDと違って)私はつらくて数回しか観れていない。それは、顔は出ないまでも、病床の源さんの様子が垣間見えたからだ。DVDではもちろん明るい風だったが、それでも源さん、そしてスタッフの不安や葛藤が伝わってきて、胸をつくようなつらさがあった。

ライブからの紅白

2回目の活動休止を越え復活した折、私は初めての源さんのライブ(星野源の復活アアアアア‼)に行くことができた。
実は、アーティストのライブにまともに行ったのは、これが初めてだった。

すごかった。自分の文章力が足りなくてうまく表現ですることができないができないけれど、”心が震える”とはこういうことなんだと思った。ただの歌なのに、こんなにも人の心に響き、人の人生をも変えてしまいそうな力があった。

また、このライブではあの人気キャラクター(?)ニセ明さんも初登場する。
ニセ明さんが生まれたきっかけは、源さんが入院中にやることがなく、カラオケのオモチャで「君は薔薇より美しい」を練習していたことにより生まれたキャラクターということだった。(おそらくこのライブの口上でしかなかった話だと思う)
今は、ニセ明さんが出る度に笑みが溢れてしまうものだが、元々は暗い入院生活で生まれたものだったと思うと感慨深いものがある。

そして2015年12月31日、源さんは紅白に初出場を果たす。
イカ大王様やバナナマンに紹介されながら、歌唱した「SUN」
「祈り、届くなら」と歌いながら涙を浮かべていた姿は、一ファンとして熱くくるものがあった。

そして怒濤の快進撃

2016年:ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」出演/楽曲「恋」の発表/恋ダンス 社会現象に等しかった。
2017年:楽曲「Family Song」 曲に込められた家族観の話を聞いたときは、胸にくるものがあった。
2018年:朝ドラ主題歌「アイデア」の発表 2番を配信ダウンロードで聴いたときは、何故だかじんわりと涙が出てきた。年末に発売されたPOP VIRUSも最高でしかなかった。

そして昨年2019年、星野源がアーティストとして配信したのがEP「Same Thing」だった。

突然の配信発表。全編英語の歌詞。 海外ツアーが始まることは知っていたが、「まさか」と言ってしまいそうなラインナップだった。
同じ星野源が歌っていることには変わりはない。昔も今も根底は変わらない。源さんから言わせれば「同じこと」だ。
けれど、ファンからすると今までの星野源とは一線を画す「新しさ」があるように思った。

これからの僕と星野源

あの日。
鬱々と家で、無為な時を過ごしていた少年の"僕"が、例えば「Same Thing」を聴いて、ここまで星野源の曲を、彼の世界を好きになれていただろうか?

多分、答えは否だ。

それは一面から見れば、寂しいことなのかもしれない。
きっとあの日の"僕"は、源さんのことを「人気らしいアーティストが、紅白でまた歌ってる」くらいにしかとらえられなかった。

でも、それでいいのだと思う。
源さんは、進化し変わっていった。
そして"僕"も変わったのだ。

今、変わらず源さんのことが好きな、源さんの見せてくれる新しい音楽、新しい世界が好きな"僕"でいられて、私は自分を誇りに思っている。

あとがき

2019年10月14日のおげんさんといっしょを観た興奮から、
"僕"と星野源について書いてみたが、いつの間にやら年まで越してしまった。
(紅白のおげんさんバージョン「ドラえもん」からの良音質「Same Thing」は堪らなかった)

ここまで書いておいてなんだが、自分のことを星野源の"ヘビーな"ファンとまで言っていいかはちょっと分からない。
毎週オールナイト日本を聴いているという訳でもないし、源さんがインスタ始めたからとインスタに飛びついた(折をみて始めたいのだが……)という訳でもないのだ。(引越し大名は観にいったと弁明しておく)
SAKEROCKから応援していたわけでもないので、古参としても中途半端なんだと思う。

でもファンの形も「ばらばら」でいいんだと、私は信じている。
きっと私とは違った思いで、この10年近い日々を過ごしたファンも大勢いることだろう。
そもそも私が書いたことは、源さんの望む音楽体験だったとも限らないのだ。

(自分でもびっくりする)長文になってしまったが、、、あくまで一ファンの戯言だと思っていただけたら幸いだ。
これからも源さんの見せる世界に、"僕"のペースでついて行きたいと思う。

2020年1月2日